大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成3年(ヨ)2203号 決定

債権者

平山幸浩

右訴訟代理人弁護士

仲田信範

水野英樹

債務者

社団法人日本クレー射撃協会

右代表者理事

豊瀬正勝

右訴訟代理人弁護士

飯塚義次

主文

一  債務者は、債権者に対し、平成三年一一月から平成四年一〇月まで毎月二五日限り、金三一万五八〇〇円を仮に支払え。

二  債権者のその余の申請を却下する。

三  申請費用は債務者の負担とする。

理由

第一申請の趣旨

一  債権者が債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、平成三年一月から本案判決確定まで毎月二五日限り、金三一万五八〇〇円を仮に支払え。

第二事案の概要

一(争いのない事実)

1(当事者等)

(一)  債務者は、「我が国のクレー射撃界を統括し、代表する団体としてクレー射撃の健全な普及及び振興を図り、もってスポーツマンシップを昂揚し、明るく正しい社会の発展に寄与することを目的とする」旨定款に定め、クレー射撃の普及及び指導、クレー射撃の全日本選手権大会その他の競技会の開催等を行っている社団法人であり、各都道府県におけるクレー射撃を統括する団体等の代表者である正会員四八名、右団体の会員である普通会員約三四〇〇名を擁している。債務者の役員として、約二〇名の理事と理事の互選による会長、副会長等がおかれ、会長が債務者を代表し業務を統括しており、被用者として、事務局長一名、事務員三名、機関誌編集の嘱託職員一名の五人の事務職員がいる。

なお、債務者には就業規則は存在しない。

(二)  債権者は、昭和六一年債務者に雇用され、主として国際関係、審査委員会、競技委員会の業務について、その事務を担当していた。また、債権者は、平成元年から、政府関係特殊法人労働組合協議会(以下、「組合」という。)傘下の日本クレー射撃協会労働組合の執行委員長をしている。債権者は、本件解雇当時、債務者から月額三一万五八〇〇円の賃金の支給を受けていた。

2(本件解雇前の経過)

(一)  平成二年七月一九日、債権者は、債務者の豊瀬正勝会長、武川完治事務局長(以下、「事務局長」という。)らから、(1)履歴書に虚偽の記載があり、学歴詐称がある、〈2〉内部告発に関する文書の作成に関与した、(3)選手の選考方法についての抗議書面の作成に関与したという解雇事由があるとして、任意退職するよう求められ、これを拒否した。

(二)  組合と債務者との間で、債権者の解雇事由について同月二五日第一回目の、同月三〇日第二回目の団体交渉が行われ、組合側は、解雇事由の具体化を求め、債務者が解雇事由を具体的に列挙した書面を組合に交付し、組合が反論書を提出することになった。

(三)  債務者は、同月二二日に解雇理由書を組合に交付し、これに対して、組合は、同年九月四日に反論書を提出した。

3(本件解雇の意思表示)

債務者は、債権者に対し、平成二年九月一二日付書面で、解雇の意思表示をした。

債務者は、債権者に対し、同日付解雇と同時に、解雇予告手当であるとして二九万七六〇〇円、同年九月分給与であるとして二四万五〇八四円、退職金であるとして一一八万五九六六円(以上合計一七二万八六五〇円)を提供したが、債権者が受領を拒否したため、右金員を同月一七日供託した。

二(当事者の主張)

1(債権者の主張)

(一)  本件解雇は、その理由とされた事由のいずれもが根拠のない荒唐無稽のことであるから、無効である。平成二年七月一九日に債務者から退職を求められた際、債権者が債務者の述べる点に根拠がないことを指摘すると、豊瀬会長らは、「武川事務局長と君がうまくいっていないので、君が辞めてほしい。」と言っている。

また、本件解雇は、理事者間の意見の対立を背景として、豊瀬会長が反対派に従っていると目した債権者を排斥しようとして行ったものである。

(二)  債権者は、組合を通じて債務者と本件解雇問題について協議してきたが、その間、豊瀬会長及び井端常務理事は、次のことを債権者と合意した。

(1)  債権者の問題を協議する臨時理事会を召集するが、この理事会では解雇の決定はしない。決定前には組合と十分協議を尽くす。

(2)  右理事会において、この問題を検討する小委員会設置を提案する。

同委員会において、債権者及び組合に反論及び釈明の機会を与える。

しかし、債務者は、右合意に反して、同年九月六日の理事会で債権者の解雇を決定した。これは、合意された手続を無視したもので、その点からも本件解雇は無効である。

2(債務者の主張)

(一)  債権者は、無断で欠勤、遅刻するなど勤務状態が不良で、他の職員と比較して繁忙期に長期の休暇をとるなど協調性に欠け、また、会長を含む現執行部に対し造反し、トラブルを惹起して、債務者法人を混乱させ、現執行体制を転覆させようと画策するなど、無用の混乱を生じさせた。

具体的な解雇理由は、次のとおりである。

(1)  スキート種目選手山下友也のテレビ番組出演に関して、同選手が銃刀法に違反したとの流言を流布し、関係者を煽動するなど、債務者事務局職員として極めてふさわしくない行為をした。

すなわち

平成元年一一月八日、武川事務局長に対して、同月四日に山下選手がテレビ番組に出演した際に射撃した銃について、山下選手は右利きなのに使用した銃は排莢口が左側の左利き用の銃であったとして、明らかに銃刀法違反だと述べたが、その直後、強化委員会委員数名やスキート選手の銃砲店主や弁護士などに引っ切りなしに電話で山下選手の銃刀法違反をふれ回り、また、同選手の違反の立証に奔走した。

債権者が山下選手の銃刀法違反をふれ回り、また、同選手の違反の立証に奔走した行為は、とかくトラブルの絶えないスキート関係者間の紛争の火種にもなりかねない重大な行為であり、この番組製作の過程や背景にまったく理解のない一事務局職員が業務時間内に行うべきことではない。

(2)  アジアクレー射撃選手権大会派遣選手選考に関する債務者の決定に反対する趣旨の内容証明郵便の発送に関与し、選手及び役員を扇動した。

すなわち、

アジアクレー射撃選手権大会(同年五月ソウル市において開催)への派遣選手の選考方法について、斎藤信担当副会長が、当時のナショナルチームメンバー及びナショナルトレーニングチームメンバーに対して、「この派遣選手は、現在のナショナルチームメンバー及びナショナルトレーニングチームメンバーから選抜する。」旨の発表をしたが、債務者執行部としては、オリンピック出場国枠のとれる大会である旨の強化委員会からの発表がなされていたことから(実は、そうではなかったのだが)、オリンピック出場国枠をとるためには別途選考を行うことが妥当であると判断し、同年三月一五日の理事会で、前記斎藤副会長の発表は重大な間違いであるとの決定をし、改めて派遣選手の選考会を行うことにした。しかし、改めて選考会を行うことについて、当時のナショナルチームメンバー及びナショナルトレーニングチームメンバーから、反対の意思を述べた内容証明郵便が債務者に送付される事態となった。そこで、債務者の常務理事一〇名がこれらの選手と話し合い、執行部の至らなかった部分については衷心から謝罪し、かかる事態を二度と引き起こさないとの誓約をした。

このような事態の背後には債権者が介在し、右内容証明郵便を作成したり、関係の強化委員会委員や選手を扇動していた。債務者事務局員でありながら、執行部に対するこのような行為は極めて悪質で、あるまじき行為である。

(3)  外国への文書及び土屋債務者名誉会長(当時アジアクレー射撃連盟会長)あての文書に、前記アジアクレー射撃選手権大会が「三年後のバルセロナオリンピックの予選大会として公認された。」、「アジアクレー射撃連盟の主催する大会がアジア大会やワールドカップと同等の地位を与えられたわけである。」、「ハンス・シュライバーUIT事務総長が同大会にオリンピック出場枠の取得できる大会としての認可を与えた。」などと、でたらめな内容を記載し、外国の事情に不案内な役員や執行部を混乱させ、また、執行部の中枢に位置する役員や土屋名誉会長に接近した。

右行為は、前記アジアクレー射撃選手権大会派遣選手選考に関する問題に重大な影響を与えたものであり、債務者役員や債務者内部を混乱させた責任は重大である。

(4)  右外国への文書で、「日本クレー射撃協会事務次長」との肩書きを勝手に使用した。

(5)  正当な理由なく、また、許可なく、債務者の事務機器を使用して債務者に無関係の事業に参加し、利益を求めるがごとき準備と行為をした。

すなわち、

債権者は、友人を集めて債務者事務所に出入りさせ、「ポケベル事業」なる債務者と無関係の事業を計画、その利益試算及び計画のために、債務者の事務機器及び事務用品を使用した。

(6)  職務上の地位を利用し、債務者関係者、関係業者からの利益を図るがごとき行為をした。

すなわち、

〈1〉 債務者の公認装弾を検定委員長の許可なく、自らの担当するスポーツ科学委員会の資料にすると称して勝手に海外に持ち出し、装弾業者と結託して、外国において、それら国内装弾の使用テストを行い、不必要なデータを入手した。もし、これが日本猟用資材工業会に知れれば、同会から年間数百万円もの協賛を受けている債務者としては由々しき結果を招くことになる。

〈2〉 また、公益法人の事務局職員である以上、癒着などという噂のたたないように平素から心掛けるべきであるのに、「自らの職務上の地位を利用して、一部の強化委員会委員から乗用車を譲り受けたり、欧州旅行への招待を受けたりしている」などという噂を招いた。

(7)  債権者は、欠勤、遅刻を繰り返すなど、勤務状態が著しく不良である。

(二)  債務者は、右の理由により、平成二年七月一九日、債権者に対し、退職を勧告したものである。そして、前記の経過を経て解雇理由書、反論書が相互に交付され、同年九月六日の理事会において、右解雇理由書と反論書をもとに債権者の解雇問題を協議した結果、満場一致で債権者を解雇することを決定し、右決定に基づき、同月一二日、債権者に対して本件解雇(通常解雇)の意思表示をしたものである。

もともと、債務者においては、事務職員の任免は、会長の専権事項であるが、債権者の立場を考慮し、かつ、慎重を期して、理事会の承認を得、その上、通常解雇という方法をとったもので、本件解雇に無効事由はない。

第三当裁判所の判断

一  債務者が主張する具体的解雇事由について検討する。

1  まず、債務者は、債権者が、「テレビ番組に出演した山下友也選手が番組内で銃刀法に違反して銃を撃発したとの流言を流布し」たと主張する。しかし、本件疎明資料によると、同選手の同法違反の点は事実であるようであり、同選手の銃刀法違反の事実が根拠のない扇動的な単なる噂にすぎないことの疎明もなく、「流言を流布し」たと一応認めるに足りる疎明はない。

債務者の主張の趣旨からみると、債務者は、同選手の違反事実がそのとおりであるとしても、債権者のこれに関する態度が、「関係者を扇動するなど、債務者事務局職員として極めてふさわしくない行為」であったとするもののようであるが、債務者のいう「関係者を扇動するなど債務者事務局職員として極めてふさわしくない行為」というのは、直接には、債権者が平成元年一一月八日出勤後、事務局長に対して、右利きの山下選手がテレビ番組に出演した際に排莢口が左側の左利き用の銃を撃発したのは明らかに銃刀法違反だと述べた後、事務局長の面前で会員らに電話をかけてそのことを話したことを指すものと解されるところ、本件疎明資料によると、面前にいた事務局長はこれを制止したり、あるいは注意したりしていないことが一応認められ、その話の具体的内容がとくに不当なものであったことを一応認めるに足りる疎明はない。

さらに、債務者は、それ以前の債権者の態度の中に、「関係者を扇動するなど」した疑惑があると考えているようであるけれども、本件疎明資料中には単なる疑いを超える具体的な確たる根拠といえる事実が認められない。すなわち、本件疎明資料によると、当該番組の収録日である平成元年一〇月一八日の三日前である同月一五日、事務局長が斎藤副会長から、協会及び地方協会(同副会長は当該地方協会長)の責任者との十分な事前協議を経ずに所属選手のテレビ出演を決めたなどの注意があったことが一応認められるところ、債務者は、それが、債権者が反執行部の立場で斎藤副会長をたきつけたためだと考えているかのようであるが、そのような一応認めるに足りる疎明はない。また、本件疎明資料によると、同日、債権者が高橋委員長、石出、黒川委員とその問題について話したことについても同様の悪意があったものとみているようであるが、その場で何人がいかなる発言をしたのか、それがどのような背景のもとになされた発言であるか、債権者が果たした役割等についての具体的事実の疎明は結局提出されず、債権者の悪意に基づく扇動があったと判断することはできない。他にも、「山下選手の銃刀法違反をふれ回った」と一応認めるに足りる疎明はなく、また、債権者が「同選手の違反の立証に奔走した」と一応認めるに足りる疎明もない。「会長を含む現執行部に対する造反」とか、「現執行体制を転覆を企画した画策、扇動」という視点に関しては、なるほど、(証拠略)によると、平成二年四月には、斎藤副会長や五十嵐強化委員長の引責の問題となったことが一応認められ、また、(証拠略)には、平成二年五月に債権者がアジアクレー射撃連盟事務総長ステファン・ヤップに対し、国際電話で、次回の債務者総会で自分が事務局長になり、斎藤副会長が会長になる、自分は豊瀬会長を債務者協会から抹殺することができる立場にあり、自分と斎藤は再びアジアクレー射撃連盟に戻ると話した旨の記載がある。しかしながら、債権者は、右発言を極力否認しており、いずれが真実であるかは不明である。債務者提出の疎明資料によると、こうした発言があったと債務者に伝えられていることが、債務者の債権者に対する疑惑の一因をなしているものと解され、債務者は、山下選手の件についても、何らかの謀略があったかのように想像しているもののようであるが、それに債権者が関与していたと判断できるだけの具体的事情を一応認めるに足りる疎明はなく、結局は、債務者のもつ疑惑は単なる推測に基づくものとみざるを得ない。

2  債務者が次に問題とするアジアクレー射撃選手権大会への派遣選手の選考方法に関する紛議への債権者のかかわりは、事態の背後に債権者が介在して関係の強化委員や選手を扇動したというものであるが、債務者執行部としては、一旦、改めて派遣選手の選考会を行うことにしたものの、当時のナショナルチームメンバーなどの反対を受けて話し合い、結局、執行部側が「至らなかった部分について衷心から謝罪し、かかる事態を二度と引き起こさないとの誓約をした」というのであるから、何をもって債権者の解雇事由といい得るとするのか甚だ明確を欠く面がある。右主張に、「会長を含む現執行部に対し造反し、トラブルを惹起して、債務者法人を混乱させ、現執行体制を転覆させようと画策」した、「債務者事務局職員でありながら、執行部に対するこのような行為は極めて悪質で、あるまじき行為である」などの主張と併せて考えると、債権者が、「現執行体制の転覆」、「執行部に対する造反」を企図して、「債務者法人を混乱」させる「画策」、「扇動」をしたというのが、債務者の主張するところの債権者の解雇事由の趣旨のように解される。しかし、本件に現れている具体的事実としては、執行部の方針に反対の意思を表示した当時のナショナルチームメンバー等の内容証明郵便の原案を債権者が筆記したことの主張、疎明があるのみで、他には、そのように評価し得る裏付けとなる具体的事実の主張はなく、また、これを窺わせる疎明もない。そして、債権者が右内容証明郵便の原案を筆記した事情については、要求書(〈証拠略〉)で、「選手の要請を受け、斎藤副会長と五十嵐強化委員長の了承を得て行ったことで、選手の代表が債権者の記録していた発言記録を見ながら口述した内容を書き取っただけである。」旨弁明しており、また、陳述書(〈証拠略〉)では、「斎藤副会長から命ぜられたので、これに従っただけである。」旨弁明している。右弁明の内容は、なるほど、斎藤副会長と五十嵐強化委員長の命令という積極的指示によるものなのか、その了承という消極的なものにすぎないのか、の食い違いはあるものの、選手代表の口述を単に筆記したにすぎないという基本においては一貫しており、その弁明を覆すだけの疎明はない。債務者は、この文書中に債権者のみしか知らないことが記載されており、債権者が積極的に指導あるいは協力したものと推認できると主張するが、そのように判断するに足りる疎明はない。

債務者のいう「混乱」なるものは、そもそも、債務者執行部がアジアクレー射撃選手権大会がオリンピック出場国枠のとれる大会であると誤信していたために生じたことだというのであるが、そうであれば、右誤信のもとになった情報について債権者がこれを恣に作出するなど関与したというのならともかく、後記のとおり、そのように一応認めるに足りる事情はないのであって、債務者職員でありながら債務者への抗議文の筆記を担当したということだけでは、債権者の弁明をも考慮すると、にわかに債務者執行部を転覆するための造反行為であると断ずることはできない。

3  債務者は、外国への文書及び土屋債務者名誉会長(当時アジアクレー射撃連盟会長)あての文書は、前記アジアクレー射撃選手権大会が「三年後のバルセロナオリンピックの予選大会として公認された。」などと、でたらめな内容を記載し、外国の事情に不案内な役員や執行部を混乱させたと主張する。右表現が不正確であったこと自体は債権者も自認するところであるが、オリンピック出場国枠のとれる大会であるとの情報源について、債権者は、ヤップからの知らせを翻訳して報告したもので、報告後の情勢変化により、結果として報告内容と実状との相違が生じたにすぎないとしており、ヤップの知らせが誤りないし虚偽であったように述べているところ、それに反する疎明は債務者の提出しないところである。なるほど、(証拠略)には、債権者がヤップへの文書中で、「アジアの射手は、バルセロナオリンピックでの出場枠を、もう一つ獲得する機会を与えられた」との事実確認のないでたらめを記述した旨記載されており、仮にそのとおり債権者がヤップに情報提供をする関係にあるというのであれば、債権者がヤップから情報を得たという債権者の主張とは矛盾する関係になることは確かであるが、同号証の記載のみで右事実があると一応を認めることはできず、その原文書自体は、結局、疎明資料として提出されなかった。

また、同号証には、平成元年九月九日付のヤップからの英文文書の翻訳について、債権者が、原文にない文章を訳文であるかのように記載して、土屋名誉会長に送付したこと、右の部分は、斎藤副会長をアジアクレー射撃連盟事務次長として適任と考える旨のものである旨記載されている。なるほど、右の各原書面を対照してそのような記載になっているのであれば、債権者がヤップの名を騙って土屋名誉会長に対して斎藤副会長をアジアクレー射撃連盟の役員として推挙しようとしたことを推認せしめるということができるであろう。しかしながら、この点についても、その裏付けとなる原書面はいずれも提出されなかった。

かくて、債権者が「現執行体制の転覆」、「執行部に対する造反」を企図して、「債務者法人を混乱」させる「画策」、「扇動」をしたとの疎明は極めて不十分であるというべきである。

4  また、債務者は、債権者が、右外国への文書に、「日本クレー射撃協会事務次長」との肩書きを勝手に使用したと主張するが、本件疎明資料によると、債権者は、入社直後からそのような肩書きの使用を認められていたことが一応認められるから、右の点は解雇理由たり得ない。

5  さらに、債務者は、債権者が正当な理由なく、また、許可なく、債務者の事務機器を使用して債務者に無関係の事業に参加し、利益を求めるがごとき準備と行為をしたと主張する。なるほど、債権者が、友人の「ポケベル事業」という債務者と直接は無関係の事業に協力して、債務者の事務機器及び事務用品を使用したことは債権者も自認しているところであるが、その事業に参加し、利益を求めたことはないとし、債務者へのコンピューター導入に際して、ソフトの開発に無償で協力してくれた友人に対する返礼の趣旨で協力したものにすぎないのみならず、本件解雇の約二年前のことで、さらに、勤務時間外に一、二時間行っただけで、しかも事務局長も承知していながら、何の注意もなされなかったと述べているところ、この弁明と異なる事実を一応認めるに足りる疎明はない。してみれば、この点はそれ自体としては解雇理由とするに十分でない。

6  債務者は、債権者に「職務上の地位を利用し、債務者関係者、関係業者からの利益を図るがごとき行為」があったと主張する。右主張は、その主張の趣旨自体からして、債権者に自己の利益を図った行為があったと確定的に主張するものではないようであって、単にそのように見られかねない行為、あるいは、そのように噂されかねない行為があったという程度の趣旨のようである。しかも、装弾業者と結託して公認装弾を自己の職務外で勝手に海外に持ち出し、外国で使用テストを行ったという事実を一応認めるに足りる疎明はなく、また、債務者は、「公益法人の事務局職員である以上、癒着などという噂のたたないように平素から心掛けるべきであるのに、『自らの職務上の地位を利用して、一部の強化委員会委員から乗用車を譲り受けたり、欧州旅行への招待を受けたりしている』などという噂を招いた。」と主張するが、あくまで右は噂というだけであり、債務者から何らかの具体的根拠は示されていない。

7  債務者は、債権者の勤務状態が不良であると主張するが、債権者の無断欠勤等を一応認めるに足りる疎明はなく、債務者が本件解雇前に債権者に対して勤務状態を改善するように注意、命令したような形跡は本件全疎明資料によっても認められない。債務者は、債権者の出勤状態について詳細な疎明資料を提出しており、なるほど、債権者の勤務状態には必ずしも問題がなくはないようにみえるが、これらについては債権者も逐一反論、疎明しているところであり、本件疎明資料によると、そもそも債務者においては外勤が多いことや三〇分以内の超過勤務に対する時間外賃金支払をしないこととの関係で始業時三〇分程度は遅刻としない扱いだったというのであり、その都度注意等がなされた形跡がまったくない本件にあっては本件疎明資料に表れている勤務状態を前記5の事実と併せただけでは、その余の点について判断するまでもなく、債務者の秩序維持の観点から債権者を解雇しなければならないと認めるに十分であるとはいいがたい。

そうすると、本件解雇は、解雇権を濫用してなされたものとみるほかはない。

二  本件疎明資料によると、債権者は、本件解雇当時は債務者からの賃金のみによって生計を維持していたこと、債権者の生活には賃金全額に相当する金員の支出を要すること、そして、本件の本案訴訟は既に本件仮処分申請前の平成二年中に提起され、相当程度進行していることが一応認められるので、向後一年間の賃金全額の仮払の必要を認め、主文一項のとおりこれを命ずることとし、その余の申請すなわちその余の賃金の仮払及び任意の履行を期待するにすぎない地位保全の仮処分申請については、その緊急の具体的必要性を一応認めるに足りる疎明がないので、これを却下することとする。

(裁判官 松本光一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例